私の地域おこし協力隊としての活動
私は地域おこし協力隊制度を利用し、その活動を支援するNCL湖南という団体員として、移住した先の滋賀県湖南市において、ブラジルコミュニティとの関わりを通じて多文化共生社会に向けた活動やそのほかの社会課題解決に向けた活動をしてきた。その中の一つ、私のメイン事業であった「タピオカ研究所」という地方創生事業を通じて、キャッサバ芋(タピオカの原材料)を通じたブラジル人との国際交流の可能性を模索してきた。 しかしコロナ禍や妊娠出産など、思うように人集めやコミュニティ作りができないまま農業や人が集まらなくてもできる事柄に焦点をあて、任期終了まであと半年と時間だけが過ぎていった。
noteにも書きました
「ブラジル酒場」の企画と開催にいきついた理由
その協力隊活動中に農業や食品開発など様々に行ってきた活動の中で、多文化共生の社会的アプローチを「ブラジル酒場」というイベントを2023年2月4日実施することで一応集大成として協力隊任期を終わらせることとなった。このイベントは大阪・関西万博のTEAM EXPOプログラムにも関連しており、EXPO酒場は面白くないことは飲んで語って楽しもうとする飲みニケーションを通じて、万博の機運を醸成させ、人々を結びつけることを目指したものでそれを湖南市で実施した。
また、ローカリズムにおいて、多文化共生の推進には、知る機会の提供やステレオタイプの意識改革、楽しみながら参加できる場のデザインが必要だと考える。行政や団代が進めている国際交流の内容を私が同じように進め開催しても面白くない。私がする意味もない。コロナ禍もあけつつタイミングが巡り合わさって、いろんな縁をこのイベントにぶつけたのだ。
「EXPO酒場 湖南店 こにゃん万博構想!ブラジル酒場」と題したタイトルの意味としては、この湖南市において、大阪・関西万博の関連イベントをするにはどう言ったアプローチが響くのかの実験をかねていたからだ。 本音を言うと「こにゃん万博」と名にして万博めいたことをしたいが、どうしたら良いのか答えが見つからなかった。民間のいちフリーランス個人だ。地域おこし協力隊として活動していたものの、企業とのつながりも薄くBtoBのイベントには到底難しいが、普段仲良くしているマルシェなどの主催出店仲間ならすぐにコンタクトが取れる。そんなわけで、ブラジル酒場という国際交流のイベントを、私の近しいコミュニティイベント仲間に持ちかけ開催したのだ。
「ブラジル酒場」のキャッチーな言葉の持つチカラ
普段接点が多い仲間に話を持ちかけると乗ってくれるだろうとそこはかとない自信があったし、実際そうだった。「万博」や「ブラジル人との国際交流」「多文化共生」と語ってもピンとこない人の方が多かったが「ブラジル酒場」というネーミングを面白がってくれた。何があるのだろうとワクワクしてくれた。ことばの持つチカラなのだ。「万博」「エキスポ」という言葉もまた違うチカラがある。これは色んな催事などで使われる楽しいイメージを持っている。こう言ったことばのチカラに頼りイメージ先行で企画を進めたのだ。
demoexpoの活動と「EXPO酒場」とは
そもそも母体のdemoexpoの開催していた「EXPO酒場」は大阪・関西万博非公式の活動で、ビジネス層や自治体向けの民間に機運醸成イベントを飲みニケーションで行い、共創やつながりを見出すものであった。
私が湖南市での開催にあたり「国籍関係なく市民が楽しめるもの」を私が考えたときに、このような形に行き着いた。持ちかけてくれた中森健さんも全くの想定外だっただろうし、考えていた企業とのコラボレーションもタイミング悪く出来なかった。 そもそも「EXPO酒場」はすでに10回以上大阪を中心として2025年の万博開催まで000日前とカウントダウンをしそのキリの良い日程で実施されてきたが、私は会ったことも見たこともない人たちの開催している「EXPO酒場」の実態が分からないまま日程だけが設定された。ただ、「勝手に盛り上げよう」というフレーズに感化され、イメージを膨らませ、自分の思い描いた完成イメージをぶつけてしまおうと初回のオンラインミーティングでプレゼンをし押し通したのだ。
イベント当日、真冬のローカルの野外イベントに1100人もの人が集まった。
ブラジル人も日本人も同じ会場に来場しブラジル料理やお酒、音楽ライブにブラジリアン柔術などのデモンストレーションや紙芝居などを楽しんだ。滋賀のローカルにいながら実に国際的な雰囲気が感じられたのだ。
次回への構想
実施したことで見えたこと、反省や良かったところ、様々なところから好感あるご意見も踏まえてパワーアップして次回開催を企んではいるものの、運営費用や場所の問題もあるためどう言った形が次ベストなのかを探っているところだ。大阪・関西万博までまもなく1年となる。
このイベントの成功のおかげで、demoexpoの活動例の中でもパンチの強い酒場の一つとなり、ことあるごとに特段の紹介をしてくれ「湖南市のブラジル酒場」の認知度が爆上がりした。公式の博覧会協会や内閣官房の担当者が知っていることに毎回驚くし本当に嬉しい。当時、1歳の息子をあやしながら必死で実行した甲斐がある。私の一番の目的でもある多文化共生の課題解決への道筋にも一歩は確実に前進したことだろう。 まだ終わりではない。課題はまだまだ解決されていないし、楽しいことは続けないといけない。
後記
本活動を、先日非常勤として勤める大学での紀要執筆としてまとめている。大学の山川裕樹先生からの勧めにより取り組むことになったのだ。山川先生自身も成安造形大学 紀要 第11号の中で「実践者の実践を「研究」としてまとめることは後世の実践者の転用可能性になりうる」と述べている。確かにそうだなと稚拙ながらもまとめることにした。
物書きになれていない中、論文執筆というかなりハードルの高いもので悪戦苦闘した。提出したもののすぐさま修正したくなるほどに不安に駆られたのだけど、それが今の私の全てなのだ。こう言ったフィールドワークや実験が、世の中にとって良い循環になることを願っている。執筆を勧めてくれた山川先生や夫には大変感謝している。
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